2022/04/19

 4/16に、高円寺に住んでいるTくんの家にいった。そこに来ていたNくんが甲府に移り住んでいたので、夕方になっていっしょにNくんの家にいった。盆地だった。海鮮がおいしかった。そこで一泊して、武田神社にお参りして、4/17に帰った。そうして今夜、夜行バスで京都へ行く。とくに目的はないが京都へ行く。

2022/04/14

 9時に起きて二度寝。13時に起きる。雨。夢は覚えていない。仏教の夢を見た気がする。
 なぜかボカロの「16ビットガール」という曲をおもいだして聞きたくなる。高校生のときに友達に勧めていた記憶があった、と遠い目をして検索したら「16ビ」と打った時点で予測候補にあがっていて嫌な予感がしたらAdoという人が歌っていて有名になっていた。正確にいえばAdoの「16ビットガール」は200万回以上再生されていたが曲をつくった人のそれは8万回再生くらいだった。複雑だった。それでも私の知っている「16ビットガール」の再生数は一万六千回くらいだったのでよかったのかもしれなかった。
 こういうことを書くと古参ぶりやがってといわれるかもしれない。実際そうなのかもしれない、新しいものを批判するのは頭が固い証拠だった。私の知っているボーカロイドは陽の目を浴びるようなものではなかった。アングラで、キリシタンが家でこっそり十字架を拝むみたいな、多かれ少なかれ気味のわるいものだった。だからハチが紅白に出ていたりするのがいまだにしっくりこないし、このAdoという人のこともよくわからなかった。ともかく、長くつづけていればちゃんと評価されることもあるということなのかもしれない。それはいいことだった。「16ビットガール」はいい曲だった。いまだに歌詞を覚えていた。

 仏教について。いままでの仏教は、声の大きいカリスマ的老師がいればお弟子さんがたくさんついて、それでなんとかもっていたらしい。またインターネットもなかったので情報がはいってこなかった。だから師匠にいわれた「これこそが真理だ」ということだけを信じて何十年も山に籠もり修行することが可能だったと。しかしインターネットに公案の答えがすべて載ってしまっているような時代に「真理」を信じるのはむずかしい。閉鎖性がかならずしもすべて悪というわけではないらしい。当たり前といえばそうだが。
 髪を切る。腕立てとスクワットをする。シャワーを浴びる。
 落語を聴く。三遊亭圓生の「死神」。落語は門外漢だけれどよかった。
 なんだか力がなくなってくる。どうしたことか。ぽつねんという感じだった。やりたいことがなくなってしまった。このうえはもう人助けをして一生を送ろうか。それもいいかもしれない。死んでいるのだか生きているのだかよくわからないという気は以前からしていたがいよいよ濃くなってきた。そういえば小学生のときに自分のからだが自分のものに感じないような感覚におそわれることが多々あり、親にいったら「離魂病じゃないか」といわれたことがある。いま調べたら夢遊病と同義らしい。いまではそんなことなくなったが。生きているのだか死んでいるのだかわからないのはもともとの性質かもしれない。
 はてなブログにして、閲覧数が少なくなってほっとした。noteのダッシュボードだと数百人と書いてあってびびっていたのだが、はてなブログにしたら一日の閲覧者数が10人もいなくて、いい感じになった。というかもともとこのくらいだったのがnoteの判定だと多くなっていたのだろう。おすすめに載るだけでカウントされていたのだろうか。note株式会社のミッションには「誰でも創作をつづけられるように」というようなことが書いてあり、多くの人のつづけるためのエンジンは承認欲求なので、いかにして他人から評価されていると感じさせるかという、意地悪ないいかたをするとそういう設計がされているのかもしれない。
 ねるまえ『荘子 第一冊』。

 一旦この人としての形を受けたからには、それを変えることなくそのまま[自然]にして生命の尽きるのを待とう。外界の事物に逆らって傷つけあっていけば、その一生は早馬のように過ぎ去って、ひきとめる手だてもない。なんと悲しいことではないか。生涯をあくせくとすごしてそれだけの効果もあらわれず、ぐったりと疲労しきって身を寄せる所も分からない。哀れまないでおれようか。世間でそれを死んではいないと言ったところで、何の役に立とう。[すでに死んでいるのと同じである。]その肉体がうつろい衰えて心もそれと一しょに萎んでしまったのである。大きな悲劇だといわないでおれようか。人の生涯というものは、もともとこのように愚かなものか。[もちろんすぐれた者がいる。しかしそれは成見にとらわれた者のことではないのだ](『荘子 第一冊』金谷治訳注,岩波文庫,p51-52)

2022/04/13

 10時半に起きる。晴れ。歌舞伎みたいなものの裏方をやる夢。うねうねと曲がるロビーをすごい速さでかけぬける先輩につづいて楽屋に入ったら、先輩は机に地図をひろげ、なぜか戦争の参謀みたいなことがはじまった。ハーヴェーの開戦はどうする? みたいなこといわれてそうですねえ、とかえしていたら、左にいた男がなぜか私の犬歯を全力で押して折ろうとしてきた。おう、いいよ折ってみろよ、と気勢をあげたところで目が覚めた。その前に神社らしきところにもいっていたが覚えていない。わけわからん。
 ガンディー『獄中からの手紙』を読む。ブラフマチャリヤ=純潔・禁欲・浄行について。

 世のすべての女性が、姉妹であり、母であり、娘であると考えること、そのこと自体、ただちに男性を高貴にし、〔性の〕鎖を断ち切ることになります。(ガンディー『獄中からの手紙』,岩波文庫,p26)

 不盗について。

 わたしたちは、かならずしも自分のほんとうの必要量に気づいてはいない、そこで、たいていの人は自分の必要量を不当に水増しし、知らないあいだに自分を盗人に仕立てているのです。(同前p41)

 パンのための労働について。

 肉体労働をしない者に、どうして食べる権利があるでしょうか。聖書にも「おまえは額に汗を流してパンを得るべし」とあります。百万長者も日がな一日ベッドでごろごろしていて、食事の世話までやかれていると、そんな生活を長くは続けられなくなり、やがては嫌気がさすことでしょう。そこで、百万長者は運動をして腹をすかせ、自分の食べ物ぐらいは自分で摂って食べることになります。(略)この労働はほんとうは、農業だけを指すことになります。しかし、ともあれ、目下のところは、だれもかれもが農業にたずさわるわけにはまいりません。そこで土地を耕す代わりに、糸を紡ぎ、機を織り、あるいは大工仕事や鍛冶職に従事することも許されますが、いずれにせよ、つねに農業を理想とみなさなければなりません。(同前p63~64)

 ガンディーがいまの世界をみたら、いろいろドン引きだろう。それにしても、マルキシストにせよヒンドゥー教徒にせよ、夢想家のユートピア像はどれも似通っているような気がする。

 夜、筋トレをする。瞑想三十分。

2022/04/12

 12時に起きる。晴れ。夢をみたが忘れた。瞑想三十分。瞑想をすると一日の時間の流れがゆっくりになる気がする。
 『バシャール×ナオキマンショー 望む未来に舵を切れ!』というyoutuberと宇宙人の対談本を読む。たまにみるyoutuberなので買ってみたが、宇宙人の生活様式などが書かれていて、我ながらなにを読んでいるのだろうとおもった。
 さて『最後の親鸞』である。悪人が悪をなす〈契機〉について。長いが、とてもいいので引用する。


 それならば親鸞のいう〈契機〉(「業縁」)とは、どんな構造をもつものなのか。ひとくちにいってしまえば、人間はただ、〈不可避〉にうながされて生きるものだ、と云っていることになる。もちろん個々人の生涯は、偶然の出来事と必然の出来事と、意志して選択した出来事にぶつかりながら決定されてゆく。しかし、偶然の出来事と、意志によって撰択できた出来事とは、いずれも大したものではない。なぜならば、偶発した出来事とは、客観的なものから押しつけられた恣意の別名にすぎないし、意志して撰択した出来事は、主観的なものによって押しつけた恣意の別名にすぎないからだ。真に弁証法的な〈契機〉は、このいずれからもやってくるはずはなく、ただそうするよりほかすべがなかったという〈不可避〉的なものからしかやってこない。一見するとこの考え方は、受身にしかすぎないとみえるかもしれない。しかし、人が勝手に撰択できるようにみえるのは、たかだか観念的に行為しているときだけだ。ほんとうに観念と生身とをあげて行為するところでは、世界はただ〈不可避〉の一本道しか、わたしたちにあかしはしない。そして、その道を辛うじてたどるのである。このことを洞察しえたところに、親鸞の〈契機〉(「業縁」)は成立しているようにみえる。
 ここまできて、この現世的な世界は、たんに中心のない漂った世界ではなく、〈契機〉(「業縁」)を中心に展開される〈不可避〉の世界に添加する。理由もなく飢え、理由もなく死に、理由もなく殺人し、偶発する事件にぶつかりながら流れてゆく相対的な世界ではなく、〈不可避〉の一筋道だけしか、生の前にひらけていない必然の構造をもつ世界がみえてくる。一切の客観的なあるいは主観的な恣意性が、〈契機〉を媒介として消滅することは、〈自由〉が消滅することを意味しているのではない。現世的な歴史的な制約、物的関係の約束にうちひしがれながら、〈不可避〉の細い一本道ではあるが〈自由〉へとひらかれた世界が開示される。(吉本隆明『最後の親鸞』,春秋社,p28~29)

 

 ここに書かれた親鸞の苦悩は吉本のそれでもあったはずだ。飢餓や地震でバタバタと人が死んでいった親鸞の時代と、終戦を二十代で迎えた吉本の時代がリンクする。それにしても、この文章の迫力はなんだろうか。

 

 最後の親鸞を訪れた幻は、〈知〉を放棄し、称名念仏の結果にたいする計いと成仏への期待を放棄し、まったくの愚者となって老いたじぶんの姿だったかもしれない。

  「思・不思」というのは、思議の法は聖道自力の門における八万四千の諸善であり、不思というのは浄土の教えが不可思議の教法であることをいっている。こういうように記した。よく知っている人にたずねて下さい。また詳しくはこの文では述べることもできません。わたしは眼も見えなくなりました。何ごともみな忘れてしまいましたうえに、人にはっきりと義解を施すべき柄でもありません。詳しいことは、よく浄土門の学者にたずねられたらよいでしょう。(『末燈鈔』八)〔著者訳〕(同上p55)

 この箇所を読んでぞっとした。畏怖という言葉がこれほどしっくりくるものもない。吉本のいう「本願他力の思想を果てまで歩いていった思想の恐ろしさと逆説」がここにはある。
 そういえばきょう『悟らなくたっていいじゃないか』という本を読み返して、そのなかに横田龍彦という画家の話が出てきた。この画家は五十代のときにおもいつめて参禅したのだが、そのさい「坐禅をすると絵が描けなくなるかもしれない」といわれたらしい。それでもいいからとつづけた結果、横田はそれまでのデモーニッシュな作風から離れ、東洋的なモチーフ(無常や自然)と西洋的な神秘主義を融合するような画風に至ったという。ここを読んだときに、以前みた講演の動画で吉本隆明が「言語の根本には沈黙があるのではないか」といっていたのをおもいだした。『言語にとって美とは何か』のなかに書いてあるのだろうから読まなければならないが、ともかくこの「沈黙」と表現(言語的、非言語的にかかわらず)には密接なつながりがあるらしい。そうして先の、目の見えない老いた親鸞のうしろにひろがるのもまた沈黙である。しかし私はどうしても吉本と親鸞二重写しで読もうとするらしい。晩年の吉本も目が見えなくなっていた。
 夜、『日本人は思想したか』を読み返す。吉本隆明梅原猛中沢新一の鼎談。近代文学は小説で、小説は人間中心主義で、そこから逃れている少ない例として宮沢賢治銀河鉄道の夜』と折口信夫死者の書』があげられていた。「私」にとらわれない三次元的な視点がこれらにはあるというが、それはまあ、この本の文脈でいえば宗教的な視点なのだろう。「未来の小説は詩に近づく」といったのは誰だったか。
 ねるまえ瞑想二十分。

2022/04/11

 12時に起きる。晴れ。昨日の夜からぶっつづけで「王様ランキング」を一気に観た。おもしろかった。ボッジかわいかった。

 古くてあたらしい仕事』の残りを読もうとおもってひらき、ここも読んだ、ここも読んだ、とめくったらすべて読んでいた。そんなことがあるのか。読んだ感がなかったのか、まだまだ読みたいとおもっていたのか。いずれにしてもあまりないことだった。

 吉本隆明『最後の親鸞』を読む。文章に気迫がある。

 

 〈わたし〉たちが宗教を信じないのは、宗教的なもののなかに、相対的な存在にすぎないじぶんに眼をつぶったまま絶対へ跳び超してゆく自己欺瞞をみてしまうからである。〈わたし〉は〈わたし〉が欺瞞に躓くにちがいない瞬間の〈痛み〉に身をゆだねることを拒否する。すると〈わたし〉には、あらゆる宗教的なものを拒否することしかのこされていない。(吉本隆明『最後の親鸞』,春秋社,p9)

 

 かっこいいね。

 

 そろそろ瞑想を再開したい。ここ数ヶ月は精神状態がほんとうによろしくなく、あらゆるものを憎悪して過ごしていたがそろそろ抜け出したい。しかし瞑想ではなく坐禅のほうがいいのではないかとおもいはじめた。瞑想には段階があるが坐禅にはない。だから意味の次元から存在の次元でおこなうのだというのが坐禅側の言い分である。もちろん瞑想側にも言い分はあるが、けっきょくどちらが自分に合っているかということなのだろう。いまは「なにもしない」という状態にありたかった。くわえて以前おこなっていたヴィパッサナー瞑想は毎日一日二時間やりなさいといっていて、とても無理だった。とはいえただ坐禅だけを在家でやるのはどうなのだろうか。むずかしいな。

 習慣をつくりたいのかもしれない。習慣はだいじである。そうおもえるようになったのはある程度回復したからなのだろう。ここ数ヶ月でうつの人の気持ちがわかった。三月のある時期はベッドに伏せていて、脳の回路が切れているみたいにからだが動かせなかった。いちばん危ないのは小康状態だとよくいわれるが、じっさい指も動かせないくらいのときに考えていたのは首を吊る具体的な手段で、死にたいではなく、どうやって死ぬかだった。死が間近にあると、この生がいままで感じたことのない軽みをもってあらわれた。なにかの遊戯というか、可能性のひとつでしかないというか、うまくいえないけど、いままで考えていた軽みやなにもなさではない生々しさがあった。しかしなんでこんなこと書いてるんだろう。とにかくこういうちいさい死を経て変わったり変わらなかったり乗り越えたり乗り越えられなかったり、そういったことをすべての人がやっているというのは途方もないことだった。とくにうつ病の人は日常的に経験するからものすごい体力を使うだろう。びがっぷ。

 よい状態とわるい状態の振幅のなかに人間は常にいるので、ある一点や一時期をさしてその人間をさすことはできない。よい状態と悪い状態の総体がその人だとおもうのだが、現代はそういう両義性をあまりみとめない。「健康で」「明るい」「良い」状態なんて存在しないのにね。

2022/04/10

 10時前に起きる。晴れ。むずかしいクラスで授業を受ける夢。先生の質問も授業のはやさにもまるでついていけずに周りがノートをとるなかで白紙のページを隠す夢。何人か知っている人がいた。高校受験のときに通っていた塾の記憶がそうさせたのかもしれなかった。模試がたまたまよかったからかなんなのか、変にレベルの高いクラスに入ってしまい、ひ~となったことがあった。いまおもえばまあ笑い話なのだが、当時は大変だった気がする。あまり覚えていないが。わたしでさえそれなりに大変だったのだから、東大いった人とかはまじですげえなとおもう。

 映画「Uボート」をみる。三時間あったがおもしろかった。なんちゅう終わり方してんねんとおもった。からだがぎたぎただったので今日は引き篭もることにする。noteに日記を書こうとおもい書き進めた結果、はてなブログのほうがやはりいいのかもしれないとおもいそちらに書く。noteはちょっと清潔すぎた。暗いことも明るいこともふくめて日記を書きたいのだけれど、まわりがやたらとキラキラエモで、暗いことを書いたら知らない人からやんわりとした批判をいくつかもらったりして、じわじわとなんだかなとおもっていた。何人かの人と知り合えたのはよかったので、その点はnoteありがとうという感じだった。

 しかし私はいつになったら就活をするのか。バイトをやめて一ヶ月ほど経つが、天職が無職だとわかったほかは何も学んでいないし進んでいない。とにかく就活をしたくなかった。スーツを着るのが嫌なのか自己PRをするのが嫌なのか週に五日はたらくのがいやなのか。どれもいやだった。いやいや期だった。私が前からしたかったことは小説を書くこととお坊さんになることの二つで、選択肢がこの二つの時点で終了なのだが、いまはどちらも踏ん切りがついたので現在はとくになにもない。「みんなやりたいから仕事してるわけじゃないんだよ」というご意見いただきました。ありがとうございます、こんなんなんぼあってもいいですからね。

 もっと正直にいえばずっと寝てたい。レヴィナスが「怠惰とは行為の不可能性だ」みたいなこといってた気がするけれどそうだね。いままで道徳的な欲望しか抱いちゃいけないのではないかとおもっていたが宣言する、俺は好きなだけ寝ていたい。他の人類が滅亡して見渡す限り廃墟がつづいていても、べッドをひとつ探し出して横になりたい。ニトリのベッドを探したい。

 スパイファミリーをみる。おもしろい。『古くてあたらしい仕事』を読み進める。これもおもしろい。こういう本の接し方もあるのだなとおもった。あとやっぱいい人だなとおもった。私はここまでいい人ではないなともおもった。夜、筋トレして半身浴。シモーヌ・ヴェイユがずっと気になっているのだがどうなのだろうか。堀田善衛の『方丈記私記』も同じように気になる。

 

 

2022/04/09

13時に起きる。晴れ。夢をみなかった。きょうも散歩をしようとおもった。悩むにしても、ねながら悩むのと歩きながら悩むのは悩みの質がちがっていることがわかった。人間は歩くようにできているらしい。島田潤一郎『古くて新しい仕事』が届いていたのでそれを読んでいたら15時過ぎになってあわてて家を出る。
 駅まで歩く。暑い。昔は冬が苦手だったけれどいまは夏のほうが苦手かもしれない。電車に乗る。人が多い。バッグにはきのう買った『あしたから出版社』と『古くてあたらしい仕事』を入れていた。どちらも島田潤一郎の書いたもので、私は『あしたから出版社』を大学のときに読んでいたく感動したのだったが、いま読み返してみると、自分がぜんぜん変わっていないとおもった。
 西荻窪で降りる。古本屋に入って本棚をみていた。しかしどうしたことか、だんだんと悄然とした気持ちになっていった。どうしてなのかわからないが、とにかくかなしくなった。なぜなのだろう。本屋はよいところだった。荷物が重くなったからなのかお腹が空いているからなのか足がだるいからなのか、そのどれもであるような気がしたしどれでもないような気がした。『これからの本屋』『澁澤龍彦集成Ⅴ』を買って店を出、近くの古本屋をめぐって吉本隆明『最後の親鸞網野善彦『異形の王権』を買った。良い買い物のはずだった、しかしどうしたことか気分はどんどん沈んでいった。こんな気持ちで買われては古本屋に対して失礼だろうとおもいながら歩いていると小川があり、なんとなくその流れに沿って歩いた。薄暗い底から川の流れる音がして、ほのかに水のにおいがした。道を曲がり、高架がみえたので今度はそれをたどると荻窪駅についた。駅のまわりをふらふらしているとあゆみブックスという本屋があったので入った。よかった。
 荻窪駅をしばらくふらつき、カフェに入って座ると、とたんに疲れが押し寄せた。これは、ただ疲れているだけなのではないか、とおもいながらも本を開く。『これからの本屋』。ところどころおもしろかったが(閉店した本屋の店主のインタビューはおもしろかった)読み進めるうちに、だんだんとかなしくなっていった。かなしくなりすぎだろ。それはともかく、場所を借りるか持つかして、本を入荷して、売る、というのが本屋だとおもっていたら冒頭、「本屋の定義を考えましょう」ということで、ネット上で開かれている本屋が紹介されていた。「うちの店は月にも支店を開けるんですよ」とその本屋をひらいている人はいっていて、著者はそれに可能性を感じているらしく、最後には「本は店ではなく人ではないか」と書かれていたのだが、一通り読んで「これらを本屋と呼ぶ必然性はどこにあるのだろう」とおもった。私が気になっていたのは、資本金とか月の売り上げとか経営の工夫とか、本が売れなくなっている中でお店の人はどうがんばっているかということだったので、そもそもこの本とは方向がちがうのだった。勝手に期待して勝手にがっかりしているので、文句はいうべきではないのかもしれない。たしかにあたらしいこころみはなされるべきなのかもしれない。ただなんというか、文化は空間であるはずだった。毎日道をとおるときに寄るとか、何年もそこに場所があるとか、そういった現実に持続性をもった空間がほんとうに生活に影響を与えるのではないか。SNSで本屋を開いても、それはツイッターのバズりのような、いっとき話題になって消えるだけの流行りにしかならないのではないか。そういう疑念を払拭できればとおもったが、そういうものはこの本のなかにはみつからなかった。「考える前に行動するのが大事」とも「行動しなければ考えなかったのと同じ」ともこの本には書いてあった。私は、なんだか、かなしくなった。「使えなくなったので定義や意味を変えちゃいましょう」というのは日本では昔からあることなので、これでもいいのかもしれない。ただ私はいままでの本屋を本屋とおもいたい。早晩そういう本屋のほとんどはなくなるだろうが、月に行くよりかはいいのではないか。